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2019年12月4日水曜日

年末恒例・・・?

70ジジーです。
12月になりました。本当に日にちの過ぎるのが早くて困ります。

12月になると年賀状をどうするか考え始めるのですがそれと同時に「欠礼連絡ハガキ」が
ポツポツと届きます。
数年前までは「親が亡くなりました。または祖父母が・・・。」というのが多く自分の時を思い出し、「年齢的にソンなもんだろう。」と思っていました。
それが、「同級生」が亡くなりその連れ合いが「欠礼ハガキ」を送ってきたという最初の体験がありました。すごくショックです。

その同級生は、高校の時の同級で多感な時期ですから色々な思い出がありました。大学に行くときに進路が別れ「駿台予備校」の入学判定試験で会ったのが最後でした。
その後の人生は色々でしたが年賀状の交換は昨年まで続いていました。それこそ、親の欠礼時を除いてですが。

慌てて、奥さんに連絡を取ってみました。初めて会話したのですがやはり辛そうでした。
昨年6月の検査で胃がんが見つかりその後状態を回復して手術をしたようです。という事は
今年の年賀状を書いた時期には相当悪かったのかも知れません。
その後7月に亡くなるまでの事を聞かせていただきましたが奥さんの言葉はすぐに詰まり思い出すのも辛そうで早々にお悔やみを言って電話を切りました。

自分の周りにそろそろ漂ってきた「、、、」を感じ、事故だけではなく体調の急変があるかもしれない恐怖。自分の番までの準備不足を感じた一日でした。



2019年11月23日土曜日

すっかり、月2ブロガー

70ジジーです。
すっかり、月2ブロガーです。月初めに書いてホッとしてアッと言う間に月末です。

先日、名古屋に行ってきました。連れ合いが名古屋城の御殿が見たいと言い出して私も久しぶりで長距離ドライブがしたかったので「合意」。

朝出かけて途中富士山をSAから眺めたり新東名の120Km/Hを体験したり、極めつけは「豊川稲荷」で狐塚を見たり名古屋高速で迷ったりしながら宿泊地の「知多美浜」に夕方無事到着いたしました。
その間、388Km走行5時間半のドライブでした。
翌日、美浜から名古屋城に向かったのですがなぜか交通車両に警察関係が多く混じって走っていました。それも北海道警察やら地方が沢山。
美浜から名古屋に向かう途中に「セントレア中部国際空港」があります。そこでアッと気が付いたのですが「G20外相会議」が名古屋で開かれる予定日が明後日でその警戒のためでした。無事終わってくれると良いですね。

名古屋城は本体が地震対策ができず来客の入場ができません。その代わりと言っては何ですが「本丸御殿」の忠実な再現が観光の目玉になっていました。お城を眺めて中の金キラを見れるのですから外人観光客が大喜びしそうな観光地でした。確かにたくさんの外人さんが居て少し会話しただけでも「タイランド・上海・ロシア・香港の人」と写真撮影をお手伝いしました。

殿様になって中心に座してみたい。

その後は「名古屋名物ひつまぶし」を戴いてみました。
1時間以上待ちましたが納得のおいしさです。その後は早々に名古屋市内を退却して帰りました。

2019年11月13日水曜日

11月になりました。

70ジジーです。
10月末に東京モーターショーを見に50年ぶりに行きました。

それから3日後に「日野自動車秋祭り」が開催されているのを知って出かけてみました。
日野自動車の日野工場はラインとしてはもう稼働していません。つまりトラックもバスも作っていません。でも本社機能があるようで敷地一杯の施設はきれいに管理されていました。そんな工場敷地内での近隣住民に対するサービスとして「日野自動車秋祭り」が開催されていました。

子供向けレンジャーショーと屋台。普通です。その中で古い日野自動車の展示が私には興味深かったです。戦後すぐに日野自動車はフランスルノーと提携してルノーを日本でノックダウン生産して販売していました。さすがに私もそれは覚えていませんが小学生の頃のタクシーはそんな形をしていた気がします。

その後自社開発の「日野コンテッサ」が出てきます。

その後最後の型となった「日野コンテッサ1300」エンジンが後ろにあります。


懐かしかったな~。


2019年10月31日木曜日

10月は終わります。

70ジジーです。
10月はあっという間に過ぎていきました。
途中2週連続の台風関東直撃、そのほかにも長雨と風被害。
私は全くと言っていいほど影響はなかったのですが被害にあわれた方々にはお見舞い申し上げます。ほとんど周りにも被害がなかった中で日野橋(多摩川にかかる)の橋げたが台風19号の雨水の流れで緩み橋の通行止めが一番大きな被害だったかもしれません。
今は都道になっていますが昔は新宿から八王子までの国道20号線の一番の渋滞ポイントでした。20号線を上るのも下るのもボトルネックになって「渋滞何キロ」と朝の放送で聞いたのを思い出します。現在は立飛橋や石田大橋、多摩大橋などが在ってそれほど困らないのかもしれませんが当時から、重要な橋だったことは間違いありません。

台風被害の情報はで歩かなくても、ネットで検索すれば沢山、画像と共に見ることが出来ます。地方の情報も簡単に判ります。
そこで地方にいる友達の事が気になって調べたところ(長野県飯山)千曲川の堤防決壊の被害は何とか免れたような情報が判りました。便利な世の中になったものです。

武蔵小杉の高層マンションの被害のニュースは驚きました。雨量が多くなり周辺が洪水になりマンションの受電設備が水没した結果マンション内の電気が不通になり水道もエレベーターも利用できなくなった被害でした。タワーマンションは地震に対して余裕を持った構造らしいですが足元の水没には弱かったとらしいです。
私も6階に居住していて外出時にはできるだけ階段を利用する体操を心がけていますが例えば47階から毎回階段利用をしようなどとは思いませんから高層階の方は大変だったろうと思います。

10月の半ばついにお医者さんから高血圧の薬を処方されてしまったこともショックの一つでした。毎朝の血圧測定が習慣になっていたのですがその記録を見たお医者さんが「血圧を下げないと将来の脳梗塞、脳溢血のリスクが高いですよ」と言われ遂に決断をしたところです。薬の威力はすごいですね。飲み始めて翌々日からは通常値が30ほど下がりました。それで一応高血圧の診断基準を下回りました。それから毎日1錠飲むことで基準値を下回る生活をしています。ただ副作用なのか時々心臓がキュッとつかまれるような感覚があり少し不安です。

10月最大のイベントは「東京モーターショー」に出かけた事かもしれません。あるところからチケットを2枚戴き有明、青海、東京ビックサイトに出かけてきました。ビックサイトの頭でっかちビルはコミケとか漫画イベントそのほかのイベントニュースで知っていましたが行ってみたいとは思いませんでしたが今回迷いながら中を売ろうるする体験ができました。
昔の自動車ショーは学生の頃毎年のように言っていました。派手な流線型の車やら数年先には市販されるかもしれないコンセプトカーなるものをきれいなお姉さんが横に立って展示してありカメラを片手に撮り歩いたものです。当然そのころはフィルムカメラで36枚撮り数本を撮った覚えがあります。それから数年して車から興味を失い、車は実用車に限ると思う時代が続きました。「乗って安全にある程度のスピードで移動できる物」です。

近年、カメラはデジタルになりカメラそのものも電話に付属するものになってしまいました。車は内燃機関で動かすのではなく電動に変わりつつあります。その先には自分で運転せずに済む乗り物に変るのかもしれません。そんなことを考えながら「モーターショー」を見に行ったのですが見に来ている人たちは昔と変わらず熱気に包まれておりました。
未来カーは相変わらず流線型で(未来バスは四角でしたが運転手は居ませんでした)きれいなお姉さんがにっこりするのは全く同じでした。



2019年10月1日火曜日

日光、中禅寺湖、東照宮、

70ジジーです。
先日、連れ合いの墓参りのついでに北関東ドライブをしました。
行った先は結城、小山、日光中禅寺湖、いろは坂の上り下り、明智平とメインの東照宮。

年寄りのドライブですからとても日帰りは無理で、中禅寺湖で一泊してその後、東照宮をお参りして帰ってきました。前回行った時には東照宮の平成大修理で彼方此方カバーがかかり近寄れないところも多々ありました。その所為でお客さんも少なく逆にのんびりと見学ができた思い出があります。
今回は、小学校の修学旅行シーズン真っ盛りで多数の学校がドンドンと送り込まれていました。60年ほど前を思い出します。観光バスのガイドさんが三角の旗をもって先頭に立ち我々がその後ろについて名所めぐりをしたものでした。
今は、「班行動」とかで自洗に学習したことを各班で実物を見学して歩くのが主流のようで5~6人のグループが風を切って年寄り(私です)の周りを何組も走り抜けていきました。先生たちは要所要所にばらばらに立ってグループチェックをしています。
写真の奥に本殿がありその奥の「奥の院」までの阪は来るたびにきつく感じて息切れが増します。何とか今回も無事お参りできました。(別に徳川さんに義理はありません)
そんな気持ちがバレたのか本殿のお参り後に事件が起きました。
本殿は靴を脱ぎお参りするシステムでデカい靴箱が建っています。そこへお参り前に靴を入れて帰りに靴を履いて帰ります。当然ごちゃごちゃして渋滞します。私は入るときに86番の靴箱に入れました。ちなみに一番上でした。お参りの後帰ってくるとその靴箱は空っぽでした。連れ合いがその下に置いていたのですがそれはそのままありました。

特に良い靴という訳ではありません。サロモンと言うメーカーのゴアテックスシューズであまり人が履いていないマイナー物で、どこかで誰かが履いているのを見た事はありませんでした。5分ほどどうしようかと周りを見ながらウロウロしていました。靴箱を観察すると斜め下7~8段目によく似た靴が残されていることに気が付きました。そこで出してみるとやはりサロモンシューズでサイズも同じ、色も黒で私のとの違いはブルーの細い線が入っている事だけでした。これだ!と思いました。私の元シューズよりはくたびれ感があります。隣で連れ合いが「良い靴を履いてきてはダメだ、取られても良いものだと取られないものだ!」と後講釈をしてくれました。

それにしても、履き心地は違うので戻ってきて交換できるかもしれないと思いそこで靴を持ってぶらぶらしていましたがそこの渋滞から皆の視線で邪魔光線を受けてあきらめました。
その靴を履いて帰りました。その後の「泣き竜」の見学でも靴を脱がなければイケない事になり今回はビニール袋に入れて防御しながら見学しました。「泣き竜」ではなく心がガタガタでした。

落語に主役が銭湯に正目の下駄で行き、風呂から出るとその下駄を取られて最後の客が帰って残った履物は汚い草履で帰ると言う話があります。
今回はちょっとくたびれた同じメーカーの靴に変っただけですからそれよりは良しとしましょうか?
帰ってから考えたのですが、私と誰かの靴の相対の交換で済んだのなら良いのですがトコロテンのように誰かの靴を誰かが履いて帰り次の人がまた誰かの靴を履いて帰り最後が裸足で帰ることに成っていないと良いと思いました。



2019年9月23日月曜日

消費税の増税

70ジジーです。

このところ心臓がキュッとつかまれるような気がして息苦しくなる時があります。ネットで狭心症とか心筋梗塞とかのワードで検索するのですがなんとも「すべての表現が当たっているような外れているような」で曖昧模糊です。

前回の「特定検診」で心電図では何の異常もなかったので安心していたのですがその時の結果で「高血圧」と診断されて先日から血圧降下剤を飲み始めました。その所為で心臓が「キュッ」となるのかとも思いましたが薬を飲み始めてからの診察がまだありませんので原因不明です。

10月1日から消費税が10%に上がると話題に上り始めました。それまでは韓国との不仲話が多く、国外に話題を集めていましたがいよいよ国内の税金が話題になり始めました。が、ついでに台風が来て停電話と税金から目をそらせる要素が沢山あります。
安部内閣はヘラヘラしてその時期の通過を待っているようです。

庶民は買いだめと言う対抗策を取り始めましたが、2%の上乗せと言う事でそれもあまり景気の良くない今で、実行されてもいないようです。でも70ジジーは買いだめました。
電動歯磨きのブラシ7本と髭剃りの洗浄液を6パックも買ってしまいました。

こんなに買ってしまって生きているうちに使いきれるのでしょうか?

2019年9月10日火曜日

叔母さんが亡くなった。

70ジジーです。
毎日暑くてたまりません。
台風の後は特に大変でしたが、私の住んでいるところは停電もなく断水もなく大変だと感じる度合いも他の被害を受けている人から見ればとても軽微です。

8月末のひどい暑さの所為でしょうか私の叔母が亡くなりました。85歳でした。
その年齢まで生きてきたのですから体の彼方此方にぐわいの悪いことはあったのでしょうが遂に力尽きたと言うところでしょうか?・・・・・合掌です。

その叔母が亡くなり子供たちがその後を処理しています。変な言い方ですが儀式だけではなく一人の人間が亡くなるとその後の処理がいろいろとあるようで当事者は悲しむ暇もないのが判ります。私の時は誰がどのように処理してくれるのか判りませんが「よろしくお願いいたします。」

その叔母に関して思い出したことがったのでここに書き込んでおきます。
私70ジジーが生まれたのは70年前、当たり前ですね。その時「新潟」に住んでいたのです。親から聞いたことで自分の実感ではありません。その幼少のみぎり、多分4歳になった頃だと思いますが新潟の家で朝、目が覚めた時に母親が「昨日の夜中におばちゃんが来た。客間で寝ているから静かにするように」と言われました。東京のおばちゃんが来ているのですから遊んでもらいたくて客間を覗きに行った事を覚えています。
その後、母親が言ったことは「おばちゃんが来ていることは他の人に話さないように」と言う事でした。なんでも警察に追われているかも知れないのだとか。
そのころの子供は怒られるときに「お巡りさんに言いつける」と親から言われるのがとても怖かったのです。「おばちゃんが警察に追われれているかもしれない」と言うのはとても子供心にショックだったのでしょう。よく覚えています。

今になって時代を振り返りますと、1949年生まれが5歳になるのは1955年。それまでの年表で調べてみますと「1952/5/1のメーデー事件」の頃のような気がします。
その時私はまだ3歳で思ったよりもまだ幼かったことに気が付きました。
ずっと、おばちゃんが来た時を年代で繰り下げて「安保闘争」だと思っていましたが今回の思い返しで新事実発見できました。

その後の叔母の思想信条は不明ですが青春のいちページを飾ったことは事実だと思います。そのことは誰にも言っていなかったかもしれませんが「70ジジー」が覚えていたことが供養になると良いと思いブログに書きました。

2019年8月28日水曜日

あまり元気ではありません。

70ジジーです。

前回の投稿前から歯医者さんに通っていたのですが、ついに2本抜歯となりました。
右奥の上側、親知らずは残ったのですがその前2本が割れていて(一本は縦割れもう一本は横割れ)抜かざるを得ませんでした。縦に割れている方はあきらめていたのですが横割れの方は半分を残すことが出来なかったかと少し残念です。

歯医者さんが悪いとかレントゲンがうまく写っていなかったとかではありません。割れていたら予後が悪くなるので抜くと言う方針のお医者さんに掛かっていた私が悪いのです。
同じ歯医者さんで、5年前に左下親知らず前の奥歯を抜いて義歯を入れた事がありました。
その歯も治療困難で抜歯。初めての義歯を入れたのでした。この時から入れ歯とのお付き合いが始まったのですが面倒なものだと感じてきました。
今回も痛みがひどくなって同じ歯医者さんに行ったのが決定的でした。少し調べていけばよかった。その歯科は「残せるかどうかやってみましょう」とは言ってくれましたがレントゲンを撮った結果「無理そうですね」で抜歯になってしまいました。

歯医者さんは治療の回復を見ながら次の診療を決めるので割に時間がかかります。その為
一本を抜いた後もまだもう一本は持たせられるかもと期待して時間がかかり、やはり抜きましょうになって治療椅子から逃げられませんでした。

歯茎に大きな二個の穴が開いています。歯を抜いたあたりから肩こりと右頭の片頭痛が始まりました。割れて痛くても歯が在った時には感じなかった体調の異変です。
70歳を過ぎるとアチコチにガタが来ます。昨日まで良かったところが「今日から痛い」なんて事があります。ジワジワとお仕舞が迫ってきているのでしょうね。

そろそろ注文した義歯が出来上がりセットできると思います。インプラントにしなかったのは行っている歯医者さんではやっていなかったからですが抜いた痕があるだけでこんなに体調が不安定なのにそこへ金属を埋め込む手術をするのはチョッと不安になりますね。

現在、残りの歯は27本。何とか「8020」達成のために歯磨きを頑張りたいと思っています。

2019年8月4日日曜日

70ジジーバテバテです。

選挙の後、イロイロとおかしな流れが続きます。
選挙がらみでは「N国党」が仲間を増やし、NHKがそれに対抗意識を丸出しにしたり他の政党が「うちも金を払わない」などと言い出しています。

「れいわ~組」がらみでは国の制度では、障碍者が働く場合自分の身の回りの費用は自分で持つらしいのですがそれを今回は特例で参議院が持つことになったようです。
その特例が良いのか悪いのかと、「れいわ~組」さんでは他の働く障碍者の費用も国で持つことを求めているようです。 (これは私の理解です。違っていたらご指摘ください)

どちらの政党も新しい風を送り込んでいると思います。「黙ってその他大勢についている」人たちに猛省を求めたい気持ちです。

韓国との関係も動き出しました。昔からお互いの言い分がすれ違っているので解決は無理でしょうが黙っていると理解は進みません。お互いに言いたいことは言う方がよいと思います。「その時に冷静な判断ができる大人」が増えることが望ましいと思います。
「印象操作」「「人心掌握」「ポピュリズム」「非国民」「不買運動」皆、権力側の陰謀で、我々、ホモサピエンスとネアンデルタール人との闘いの頃から今に至っております。

「ぶつかり合いは権力無しの普通の人」には何の利益ももたらしません。何をやっても権力を持っている人が利益を得るのです。町内会の会長から一国の元首まで権力者の利益になります。

後で「あの時はしょうがなかった」と言うのはやめたいと思います。

気温が暑いとボーっとしてきます。

2019年7月22日月曜日

48.8%って何・・・?

70ジジーです。

参議院選挙終わりました。
心配した投票率が 48.8%と24年ぶりに50%を割り込んだと言う事です。

投票は「義務」ではありません。「権利」です。
自分の権利を放棄する人が半分もいると言う事が私にはわかりません。若い人たちが棄権したのか年寄りが棄権したのか、そんなデーターがハッキリするのを待ってみます。

70ジジーとしては、もう30年も生きているとは思いませんが20歳の方たちはあと30年たっても50歳です。その時の日本がどうなっているかを自分の意志で選択に参加したと言う事実を持っていてほしいものです。

30年前、70ジジーが40歳の時にも選挙があって当然「権利」を行使いたしましたが、それからの生活が投票により良くなったのか悪くなったのか判断はできません。しかし選択に参加した事は自分の人生に対する責任を果たしたと思っています。

若い人がこれからの人生を考えるときに、政治を人任せにして投票にも「参加」せずに過ごしていくことは余りにも無責任ではないでしょうか。
民主主義の「民意」を表すための自由選挙投票を大事にしましょう。

取り上げられない為に。

2019年7月20日土曜日

明日は参議院選挙の投票日です。

70ジジーです。
明日は参議院選挙投票日です。
今まで政治家に対するコメントの書き込みはしませんでしたが本日は書いてみたいと思います。

「何々ジャーないんです。反対だけではダメなんです。」
これだめです。
「何々しようじゃあ~ありませんか?」
これもダメです。
「反対するのは世の中の無駄です。だから多数の中の足かせになります。」
これも嘘です。

だめなのが多いと感じます。

新しい、日本を作るために古い概念をきれいに取り払って投票に行きましょう。

党首が票集めの演説をしているのを見ていて腹が立って書き込みました。少しアルコールも入っています。
せめて明日の投票率が「55%」を超えますように。

70ジジーでした。

2019年7月9日火曜日

遺伝子の利害

70ジジーです。
梅雨時のせいだと思いますが、日照時間が減っているとか。7月半ばでも東京で半そでTシャツだけでは寒い日が続いております。

陽気のせいだけではなく、嫌なニュースが連続して気持ちが暗くなります。その第一が
親が子供を殺したり、子供が親を殺したり本当に気分が悪くなります。他人が他人を殺すのが良いと言っている訳ではありませんがそれよりも数倍のムカつきがあります。
私の子供時代には「尊属殺人罪」と言う犯罪が別項目であって、それを習った時に子供の私は、子供が親を殺す時だけが罪が大きくなることに納得がいきませんでした。

その後、時代が移りすぎて自分が親の世代になったときに、親が子供を殺すのはメリットがない(今まで投資した分が無駄になる)と言う説が理解できました。リチャード・ドーキンス博士の「利己的な遺伝子」を読んだばかりだったで遺伝子の利害がすべての根源であると言う説に感心して激しく同意したものでした。

同じ殺人罪でも、他人が他人を殺すのと血族同士が殺人を犯すのは「遺伝子の利害」から言って同じ罪ではないのかもしれません。

竹内久美子さん教えてください。


2019年7月1日月曜日

半年終了

70ジジーです。
今年もアッと言うまに半分が終わってしまいました。今年やった事の順位はそれほど高くはないと思うのですが、「オリンピックのチケット」の抽選に外れました。
周りで当たった人は居ませんでした。
まぁ~それほど興味はなかったので良いのですが、オリンピック委員会だか盛り上げ部門の作戦に見事乗せられてしまった感が、ちょっと悔しいです。
多分、次のチケット販売では参加しないと思います。

実は6月始めから北海道に旅行に行っていました。札幌と旭川の中間都市の移住体験住宅にお試しで住むことができると言うチャンスを頂きましたので仮住まいをしてまいりまた。
夕方の大洗から北海道苫小牧までのフェリーに乗りました。翌日の14時まで船の中でのんびりと過ごします。お風呂に入り、レストランで夕食と行きたいところですがお風呂の後は大量に持ち込んだ食料とビールでお部屋宴会でした。
ほぼ50年前やはり車で北海道に出かけた事がありました。その時は高速道路もなく東京から仙台で一泊、大間崎で一泊して3日目に北海道函館に上陸したものでした。それが、夕方フェリーに乗って宴会をしていると翌日には北海道の目的地に着いてしまうとは日本も狭くなったものです。
見えてきました 北海道。

2019年5月15日水曜日

新緑の候

70ジジーです。
5月の連休(十連休は多すぎだと思いました。)が終わってマンション内もほっとした空気が漂い始めました。小学1年生も黄色いランドセルを背負って登校していく姿が何となく落ち着いた感じがしてきました。当然去年の一年生はもっと自信をもって登校していく様子がうかがえます。

私、6時半ころからマンションの駐車場の屋上で柔軟体操とソクホウオーキングで体調を整えるのが日課になっていて終わった後、マンションのガードマンさんが駐車場の前に立って小学生の登校を見守っているところへ行ってお話ししてから部屋に帰るのが日課になっています。小学生の登校と大人の出勤を見送りながらガードマンさんと情報交換するのが楽しみでもあります。
昨日ガードマンさんが退職したそうです。当マンションのガード体制は3人で回っているらしいのですが夜勤と昼勤の都合でどうしても予備の人が必要だとか。その予備の人がやめてしまったので慌てて募集をかけているという話を聞きました。これが本日の情報でした。すぐに人が補充できればいいのですが、ガードマンと言う仕事は信用が大事で仕事の内容も訓練の行き届いた行動規範が必要と思うのですが応募者をすぐに仕事につけても良いのでしょうか?とても気になった事柄でした。

マンション前のケアキの下のクローバーが元気だったころの写真です。今はハゲチョロケ。

2019年5月6日月曜日

マンション住まいと時間の経過

現在、戸数460のマンションに住まっております。15年前に引っ越してまいりました。

集合住宅に引っ越してきて、上下、左右のお宅にご挨拶に伺いました。セキュリティーのしっかりしたマンションでマンションのエントランスで各室のインターホンを呼び出してアポイントを取った後に訪問すべきだと言うのを知ったのは、ご挨拶が済んでからの事でした。その当時は、各部屋に行き部屋の呼び出しブザーを押して在宅していらしたときはお返事があり対応していただきました。左右のおうちは、我が家が引っ越して荷物を運びこんでいるのをご覧になっていたので割とスムースにご挨拶することができた事を覚えています。
左側のおうちはまだお若いご夫妻がお住まいでお子様もまだおられませんでした。右側のお宅はお若いご夫妻でしたがもう小学生の女の子が犬と一緒にご挨拶していただきました。下のおうちは、これから当方が音でご迷惑をかける確率が高いので特に丁寧にごあいさつさせていただきました。こちらもお若いご夫妻に3人の元気なお子さんがおられました。挨拶の後、私と家内で、「この家の下でなかったことは良かったね」と話したのを覚えています。
問題は当家の上の階の方でした。上の階で音がして在宅しているだろうと思われるときにご挨拶の品をもって上がっていくのですが、呼び鈴を鳴らしても反応がありません。何回かそんな事があってやっとご挨拶ができました。音の正体は小学3年生の女の子と年長さんくらいの女の子でした。「外れ!!」
それからの何年かは玄関前で「ホッピング遊び」はするは部屋の中で走り回る、結構な被害にあいました。親御さんも「彫金」でもなさるのか、夜中にコツコツシーン、コツコツ。が2時間続くこともありました。さすがに苦情を言いに管理人室に行きましたが・・。

そんな時間が過ぎて、15年経つと私も齢をとりましたが小学生だった女の子たちも齢をとり、妙齢のおとなしい女性に変ぼうしてきたのか、乱暴な足音もほとんどしなくなって静かな時間を過ごせるようになってきました。右のおうちの女の子も大きくなっておうちを出られたようです。しかし残された犬が寂しいのでしょう、誰もいない昼間の時間に吠え続け困りました。左のおうちは私たちが引っ越して数年後男の子が生まれました。今は中学生で朝7時20分、すごい勢いで外廊下を走りエレベーターに向かっていきます。遅刻しないでねと思います。
15年で当家が音でご迷惑を掛けた事は無いと思っておりますが、ベランダの隙間から水が漏ってきたという事件がありました。下のおうちからの苦情です。幾鉢かの植物がありますのでそれに水をやったのが飛んだこともあったのでしょう。それ以後注意しております。
意外とうるさいのが掃除機の音でした。ゴーゴーと言うモーター音は古くなると仕方ないのでしょうが掃除機の吸い込み口が壁に当たるガッツンと言う音が結構響いてきます。マンションの床壁の防音性は15年でどれくらい進化したのでしょうか?それでも、集合住宅はお互いの生活を守りながら人に迷惑を掛けない注意が必要です。

お風呂の取り換え工事で古い浴室を取り外し床と隣の部屋とのコンクリートの壁を見たときにホンの15センチでお隣とか下とかと面していることに気が付きました。工事が済んで内装ができると内側しか気になりません。でもすぐ隣、下上、につながっていますよ。



2019年5月4日土曜日

内装の改修工事
2019/4月にトイレと風呂場の改修を行いました。


とてもきれいになってお気に入りです。

久しぶりの投稿

このブログをほったらかして10年たちました。
その間に生活はほとんど変わりませんが年齢は確実に10歳上がり
体の不調はより増してきました。
でも元気です。