ページビューの合計

2026年4月9日木曜日

縄文と花桃

 70ジジーです。元気です。

諏訪湖のそばのウナギを頂いた後はおとなしくしておりました。時期は桜の開花時期ですが今年の気候が桜の開花とうまくリンクしていなくて開花宣言が出される頃は気温が下がり咲き始めの初々しい桜の花見は出来ず仕舞いでした。その後は一気に気温が上がり「パッと咲いてパッと散る」と桜本来の鑑賞タイミングでした。

しかしながら情報が発達した現在、こちらではまだ三分咲き、こちらはまだまだ見ごろ、当の情報が錯綜してあきらめの悪い花見シーズンを過ごしておりました。

ここはスパッと桜をあきらめて「桃の花」を見に行きました。「山梨」はフルーツ王国」を自任して多数の果物が栽培されていることは承知しておりますがその中でもブドウと桃の産地としてとくに有名です。実がなるということは花が咲くということでその時期の甲府盆地を眺めてみたいというのが長年の夢でした。しかしながらこれも情報を集めてみると、桃の栽培場所によって花の咲く時期が微妙に違うのだそうです。甲府盆地で桃の花が最初に咲くのは盆地中央付近でそれから順番に山の上のほうに開花していくらしいのです。

中央高速を下っていくと「釈迦堂SA」があります。その付近を走っていると大きな看板に「日本一の桃の産地」という看板があり以前から気になっておりました。しかもその釈迦堂には縄文遺跡があり「釈迦堂遺跡博物館」が常設展示していることがわかりました。行くチャンスを探っているとすぐそばに「駒沢農園」さんが花桃をたくさん植えて見せていただけることをキャッチ。「今年はそろそろ終わりそう」との情報で慌てて出かけてみました。

しゃかちゃん
水煙土器
駒沢農園さんの菜の花と桃の花
花桃園前
駒沢農園の第二農場前からの甲府盆地です。目の前の桃畑の花は満開状態ですがズッと下の盆地では桃の花は終わって葉桃(葉桜って感じ)でした。

桜の名所は全国的にたくさんありますが、初めての桃の花の名所、感動がありました。次回は甲府盆地がピンクに染まる頃に来てみたいと思いました。

2026年3月14日土曜日

諏訪湖 満喫満腹

70ジジーです。元気です。


春になってぽかぽか陽気に誘われて温泉旅行を計画しました。

世の中は上手く行かないものだと言うのはこの年齢になると理解しておりますが予約日の前日から日本海側に雪雲が発生、関東のみなみ海上には低気圧と下手をすると東京に大雪が降る可能性のある天気図展開になってきました。ノーマルタイヤの愛車での旅行はどうなるかヒヤヒヤものでした。当日は南岸低気圧はもっと南に下がり八丈島あたりに在りそのまま東に向かう天気図でした。


冷たい風は吹いていますが雨雲はその風に飛ばされて青い空が一面に広がって旅行日和になりました。「世の中は上手く行かないもの」と言った後ですが、どんでん返しもあることをこの年齢になると知っております。要するに年寄りはどちらに転んでも言い訳ができるという特性を持っているのです。


そのお天気の中、中央高速を順調に走り2時間ちょっとで「諏訪湖の一望できる蕎麦屋」さんに到着いたしました。

上諏訪側から   

                    岡谷方面

大海老2本豪華天ざる蕎麦

こちらは無料の展望台

続いて、甘いものは別腹というので下諏訪に移動して


おいしかったです。ママさんと会話楽しかったです。

その後お宿にチェックイン。すぐにお風呂に入りました。

そして翌朝朝食後チェックアウト。


高島城遺跡へぶらっと散歩。その後まだ風呂に入り足りないというので

「片倉館」へ。


ここの深い大きいお風呂は大好きです。

お風呂の底の玉石を踏んで足の裏ストレッチをして終了。

それだけでまたおなかが減ってランチタイムです。年寄りは食べることが楽しみです。

諏訪湖周辺にはたくさんのうなぎ屋さんがあります。本当なら片端から全部試したいのですが毎回一か所でおなかがいっぱいになり残念です。今回は「うな藤」さんに入りました。


関東ではウナギを背開きにして蒸してたれを付けて焼くのが主流だそうです。関西は腹開きで蒸さずに焼くのだそうです。その流儀の境目が静岡とか長野とかにあるそうで確かに諏訪近辺で食べたウナギは蒸した店と直焼きの店が混在していました。

こちら「うな藤」さんは直焼き系になります。写真の上の白焼きを見ると確かに蒸していないのがわかります。関東で食べる白焼きはしっとりとしていますがこちらはコリコリとした食感でした。うな重も関東ではご飯の上に焼いたウナギが全部乗っている店が多いのですが長野では注文時に「何枚」という注文になりました。写真では「3枚」の注文です。1枚だけがごはんに乗って残りは別のお重で提供されました。

この「何枚?」文化は長野のおそば文化からきているのかもと思います。長野でおそばを食べるときにも「あと2枚ください」などと言いザルに乗ったおそばを注文していました。

満腹した後は安全運転で帰ります。これもお約束なのですが中央高速の小仏トンネル付近の渋滞にはまりました。今回は時間が早いわりにちょっと長い渋滞かと思いましたが渋滞の先頭に到着するとキャンピングカーが横転して道の半分を占めていてそこが渋滞の元でした。今、背の高い車が多いので風などが急に吹いたりすると下り坂などは特にフラつくことがあるそうです。皆様も安全運転でお過ごしください。




2026年2月22日日曜日

河津へ河津桜を見に行く

70ジジーです。元気です。


昨年もJRで「みなみの桜河津桜高尾号」で河津に桜を見に行って「何も咲いていなかった!寒かった!」と言うブログを書いた覚えがあります。今年はそのリベンジ編です。


八王子駅から指定席に乗ってボーッとしていると河津駅に到着するというとても便利な特急列車があります。これはいつもある列車ではなく丁度桜の咲く時期の特別列車になるようで今年も1本だけ運行されました。駅ネットで運行が発表されてから発売までの時間がとても長かったです。


先に書きましたが昨年も同じ列車に乗って河津に行っています。思い起こせば、2月の14日でした。昨年は夏の猛暑前にも天候不順があり通常なら河津桜の開花時期はこの列車のころの予定でした。(JR企画担当者もそう思ったことでしょう)

その、2月14日に河津駅に到着した時の残念感は未だに思い出します。…でも今年は満足。


今年の企画担当者は昨年の失敗に(?)に懲りて1週間後ろにずらしてありました。企画は当たりお天気も良く満席の乗客はウキウキと到着した河津駅から桜のなみきに向かっていきます。町中がピンクの雲がたなびくようで極楽浄土は「斯く有りなむ」でした。

私たちはその波に乗れず「ヨタヨタ歩き」でタクシー乗り場へ直行で、タクシー待ち。道の渋滞かタクシー不足か昨年とは違い車が来ません。それでも何とか乗って「踊り子会館温泉」に向かいました。運転手さんと会話でお客さんがたくさん来るので道が混むのは仕方ないが道路に止めたり急に停まったりの運転が困ると言っていました。確かにすぐ前を走るレンタカーがゆっくり過ぎる走りと信号待ちからのスタートの遅さ、結構な迷惑運転でした。

温泉に浸かり、露天風呂で桜の鑑賞、湯上りの快楽、まさに天国の2時間を過ごして人ごみの桜鑑賞道路に出かけます。

途中で出会った人力車。セールストークで
「死ぬ前に乗ってみませんか?その時に乗っておけばよかったと後悔しないためにも乗ってみませんか?」でした。私が「死にそうに見えたのか?」と聞くと「人間みんな、死にます」でした。  ボーズ頭は伊達じゃないと思いました。


しかしながら凡人の私は


と進み、

帰途に就きました。

「人生の一大イベント」が一つ終わりました。

2026年1月22日木曜日

木下大サーカス いつ以来だろう?

 今年初の書き込みです。

元気にお正月を迎えました。(遅い報告で申し訳ありません)

『正月や 冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし』・・・というところで半月も過ぎました。


暇にあかせてネットサーフインをしていてたまたま見つけたのは「木下大サーカス」の立川公演で昨年11月から始まっていたようでちょっと遅いニュースでしたが興味を引かれて調べてみるとまだまだ観覧できそうでした。チケットもネットですぐに取れてその予定日までのウキウキ感は子供の時のそれを思い出します。頭の中でサーカスの曲「天然の美」が鳴り響きました。今の若い人はほとんどご存じないでしょうが昔のサーカスはみんなこの曲でした。そしてサーカス団はいくつも存在して旅芸人のような生活をして日本全国を巡回公演していたのです。これは私の体験ではないのですがその人の学校へ転校生が来てその子は「サーカスの子で講演が終わるとまた転校して行ってしまった」と思い出を聞いたことがあります。


サーカスだけではなく、大衆演劇、見世物小屋、お祭りのテキやなど昔はあちこち巡りながら生活していた人が沢山いました。お客さんは地元に来てくれるそんな娯楽をとても楽しみにしていたものでした。

今は人の移動が楽になった分、お客さんに移動してきてもらう公演が多くなったようです。


その昔、小学校へ入る前だと思いますが田舎暮らしの我が家のそばにサーカスがやってきたことがありました。父親が切符を手に入れて連れて行ってくれたことを思い出します。今まで空き地だったところへ派手な布地のテントが建っていて中に入ると真ん中に広い輪っかがありその周りを板でできた長椅子が囲み客席になっていました。お客の呼び込み中は「天然の美」がエンドレスで鳴っていました。小さな座布団を借りてそれに座って場所が決まりキラキラのミラーボールが光ってテントの中が夢の世界のようになったのを思い出しました。


演目の詳細は覚えていないのですがハラハラドキドキの連続だったのでしょう。最後の空中ブランコはその後も思い出しました。


その思い出から70年以上経って今回、同じような「サーカス」が見れました。その70年の間にたくさんあったサーカス団はずいぶん減ったようです。固定式の劇場でやるサーカスのようなものは大人になって何回も観ました。「「中国雑技団」「シルクドソレイユ」などなど。しかし芸だけの比較ではなく思い出の中の「サーカス団」とは違い、人生の一ページ、思い出の一ページとして今回の「木下大サーカス」は大きな価値がありました。


近くの席にいた小さい子供たちも大きな声援を送り楽しんでいました。この子達のこれからの人生の思い出になり私の様に70年後に思い出せる世界が続いてくれると良いのですがどうなるのでしょうね?




象さんの保護活動に協力してきました。

2025年12月28日日曜日

大仁温泉 長嶋茂雄ロード行ってみました

70ジジーです。元気です。

私が中学1年生のころに少年雑誌が週刊化されました。それまでは月間雑誌で発売までの期間が長くまだかまだかと待っている楽しみがありました。「冒険王」とか「少年倶楽部」とか「少年画報」別冊付録がとても楽しみでした。別冊を挟んで発売するので本誌が膨らんでとても分厚く見えたんものです。それまでの雑誌の表紙は表紙絵でカラフルですが存在感はありませんでした。それが週刊誌になると絵ではなく写真が表紙になることが多くなりそれもスポーツヒーローがメインでした。「力道山」「朝潮太郎」「長嶋茂雄」「王貞治」「大鵬」「柏戸」などなど懐かしく思い出します。

その中でも「長嶋茂雄」はヒーロー中のヒーローでよく載ったものでした。それから10年後、「報知新聞」を読むようになるとジャイアンツと長嶋、王の機関紙でした。


その中の春の野球の無い時期のスポーツ新聞の記事は新しいシーズンの期待を盛り上げるためにいろいろな記事がありました。報知新聞のメインは「長嶋、山籠もり」とか「冬の素振り10000回」とか思い出します。

この「長嶋、山籠もり」の記事は毎年の恒例記事でした。場所は伊豆の大仁温泉で温泉に入り山道をランニング、部屋で素振りと記事に出ていたのを思い出します。

そこで行ってみました。「大仁温泉」。


大仁駅を降りると駅前ロータリーには居ました「長嶋茂雄」さん。

そこからホテルまでは急な坂道が続きます。途中にも「長嶋茂雄ロード」の文字がありランニングコースだったとか。

ホテルの中には「長嶋茂雄コーナー」が在り、

長嶋さんが泊まった離れではありませんが宿泊して温泉三昧、チェックイン前に

「富士の見える足湯」で一息。お天気が悪く富士山は見えませんでした。

翌日は、修禅寺温泉へプチ旅行。

指月殿へお参り

竹林をお散歩と定番コースを回り、

止まない雨の中帰宅の途に就きました。

2025年12月5日金曜日

劇団 テアトル・エコーのお芝居を見ました。

 70ジジーです。

あんなに暑かった夏が終わりチャンと寒い冬が来ました。本日はお釣りが来たように特に寒いです。

1か月以上前に買った芝居見物の予定日が来たので出かけましたが寒かったです。陽が照っていても風が冷たくダウンコートの襟をチャンと閉めてのお出かけでした。

1971年のエコー初演時のキャスト、懐かしい限りです。これも観ています。

54年ぶりの再演は大幅に役者さんが若返り音楽テンポが速くなりセリフも早口に聞こえました。見ている私が、段々着いていけなくなっているのかも。

カーテンコールは写真OKとの事で撮影できた写真です。


そのあと役者さんと握手して劇場の外へ、陽が陰り風は冷たいのですが芝居を見た後の心の暖かさと満足感があって駅までルンルンでした。その躁状態が続いたのでしょうか新宿で中央線に乗り換えるときに「グリーン車」をおごってしまいました。去年から中央線で4.5号車が二階建てになってグリーン車になっています。そこに乗るには別料金で今までチョッと混んでも一般車両に乗っていたのですが勢いで乗ってみました。ホームでスイカを使いグリーン券をゲット。来た電車のグリーン車両に乗ってみました。グリーン車は座席指定ではなく自由席ですから乗ったときに空席は無くとも料金は戻ってきません。乗った車両には空席があり座れました。そこでグリーン券を買ったスイカの出番、そのカードを席の上の所定の位置に近づけると席の上のランプが赤からグリーンになります。これで車掌さんが来ても何も言われずに堂々としていられます。しかし最寄り駅で降りるまでに車掌さんは来ませんでした。


楽しかった一日が終わりました。


2025年11月18日火曜日

長野ツアー第三弾 中山道馬籠宿妻籠宿

 70ジジーです。

長野県飯田市の久米川温泉に宿泊した翌日は霧の露天風呂から始まりました。

このところの熊騒ぎで露天風呂があちこち閉鎖になっているところが多いのですがこちらは高いコンクリートの塀に囲まれていて(ちょっと風情はないのですが)熊は入ってこれない構造になっています。しかし朝からの霧とドウドウと流れ込むお湯の湯気でいい雰囲気でした。

朝食後には霧も晴れて絶好の観光日和、車で30分ほどの馬籠宿に向かいます。途中気になったのがカキの木。オレンジ色の実を葉の落ちた木の枝にタワワに付けて「これは熊の大好物だわ」と独り言が出る道でした。刈り取りが終わった田んぼとちょっとした空き地にあるカキの木が何本もあって収穫待ちなのでしょうが熊も狙っている事でしょう。

10時前に到着した馬籠宿の駐車場はもう8分の入りでそこから旧街道に向かって歩いていくと途中のバス停には降りたばかりのインバウンドさんがぞろぞろ歩いていました。


風情ある宿場町、には茶店が必要です。そこで入ったのが「栗きんとんとお茶セット」。
周りはすべて外人さん、「ここは日本かしら?」

島崎藤村の生家を訪ねたけれど 「まだ あげ そめ し 前髪の」しか思い出せない私です。
この道をズーッと登っていくと山道になり妻籠宿につながるようで元気な人は歩いていました。インバウンドさん半袖、短パン、11月半ばで元気ですね。
私はここから駐車場に戻り車で妻籠宿に移動しました。
妻籠宿は馬籠と比べるとまだ平坦でした。

ちょうどお昼時になっておなかも空いてきました。どこかで蕎麦でもと思って歩いていると桝形を下りてひなびた「旅籠松代屋」さんの隣に縁側のある部屋に「お蕎麦」と書いてあるお店を見つけました。縁側の隣の玄関に入るとおばちゃんが迎えてくれます。早速縁側のある部屋に座り込みお蕎麦を注文いたしました。「できますのはかけそばと盛りそばだけです」とおばあちゃん。結構です、それを注文して縁側に座って待っている間も目の前を観光のインバウンドさんたちが通過していきます。つい手を振ってしまうと向こうからも振り返されてお互いニッコリです。何人か通過した後その人たちが戻ってきて「ここはなんだ」と聞いてきました。「蕎麦レストラン」と答えると縁側から靴のまま上がってきそうな勢いでした。「ノー、エントランスは左」と滅茶苦茶な言葉で玄関を教えました。「オー、ソーリー」と玄関に回り私たちの奥の座敷に通されていました。そこでお店のご主人が登場。奥座敷に座った若いお兄ちゃんのインバウンドさんに地球儀をもって迫っていきます。「ユーはどこから来たの?」。後から聞いたのですがご主人91歳だそうです。
カナダのケベックからの二人とフランスノルマンディの一人で今朝知り合ったとか。
おじいさん曰くホット蕎麦とアイス蕎麦を頂きました。

おなかがいっぱいになって宿場の中をウロウロ。本陣跡やらはたご、お店、明治天皇のご休憩どころ等を観光しました。その時松本のドーミーインで一緒に朝食をしたインバウンドご夫妻とすれ違いました。「世界は狭いです」

囲炉裏を炊いて煙い家の中ですがそれにも意味があると教えてくれました。窓の格子から陽が差すのは秋冬春だけに設計されているとか、昔からの知恵はすごいです。

最後になりますが、蕎麦を食べている時に有線放送が鳴って「※※に熊が出ました皆さんご注意ください」と住民向けの放送がありました。出た場所の地名はよそから来た人にはわかりませんので気にせずにいたのですが後で入ったおやき屋さんのご主人に「熊が出たと放送していましたよね?」と聞くと「上の方の墓地に出たようだね。このところ三日に一遍は放送があるよ」と教えてくれました。その熊が妻籠の宿場に降りてこないことをお祈りしています。