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2019年9月10日火曜日

叔母さんが亡くなった。

70ジジーです。
毎日暑くてたまりません。
台風の後は特に大変でしたが、私の住んでいるところは停電もなく断水もなく大変だと感じる度合いも他の被害を受けている人から見ればとても軽微です。

8月末のひどい暑さの所為でしょうか私の叔母が亡くなりました。85歳でした。
その年齢まで生きてきたのですから体の彼方此方にぐわいの悪いことはあったのでしょうが遂に力尽きたと言うところでしょうか?・・・・・合掌です。

その叔母が亡くなり子供たちがその後を処理しています。変な言い方ですが儀式だけではなく一人の人間が亡くなるとその後の処理がいろいろとあるようで当事者は悲しむ暇もないのが判ります。私の時は誰がどのように処理してくれるのか判りませんが「よろしくお願いいたします。」

その叔母に関して思い出したことがったのでここに書き込んでおきます。
私70ジジーが生まれたのは70年前、当たり前ですね。その時「新潟」に住んでいたのです。親から聞いたことで自分の実感ではありません。その幼少のみぎり、多分4歳になった頃だと思いますが新潟の家で朝、目が覚めた時に母親が「昨日の夜中におばちゃんが来た。客間で寝ているから静かにするように」と言われました。東京のおばちゃんが来ているのですから遊んでもらいたくて客間を覗きに行った事を覚えています。
その後、母親が言ったことは「おばちゃんが来ていることは他の人に話さないように」と言う事でした。なんでも警察に追われているかも知れないのだとか。
そのころの子供は怒られるときに「お巡りさんに言いつける」と親から言われるのがとても怖かったのです。「おばちゃんが警察に追われれているかもしれない」と言うのはとても子供心にショックだったのでしょう。よく覚えています。

今になって時代を振り返りますと、1949年生まれが5歳になるのは1955年。それまでの年表で調べてみますと「1952/5/1のメーデー事件」の頃のような気がします。
その時私はまだ3歳で思ったよりもまだ幼かったことに気が付きました。
ずっと、おばちゃんが来た時を年代で繰り下げて「安保闘争」だと思っていましたが今回の思い返しで新事実発見できました。

その後の叔母の思想信条は不明ですが青春のいちページを飾ったことは事実だと思います。そのことは誰にも言っていなかったかもしれませんが「70ジジー」が覚えていたことが供養になると良いと思いブログに書きました。

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